他人と過去は変えられない
学習塾マイポートの平野です。
以前、こんなことを紹介したことがありました。
ある塾で東大に受かったOBに子ども時代を尋ねた調査があり、全員が「イエス」と答えた質問がふたつあったそうです。
ひとつは
【小さい頃に、親に『勉強しなさい』と言われたことがない】
もうひとつは
【母親がいつもニコニコ していた】
東大に行く子どもがすごくて、行けなければダメとかそんなことを伝えたいのではなくて、いちいち心配しなくても子どもを信頼して見守ることを徹底すれば、子どもはもてる力を発揮していくということを理解して頂きたいのです。
戦後の日本には【努力をすれば夢はかなう】という神話がはびこってきました。
たしかに努力をすればするほど暮らしがよくなった時代がありました。
でも、何か上手くいかないことがあると『努力が足りなかった』という結論に至り、自分を責めるのが日本人に多くみられる傾向だと思います。
いやいや本当は、人生には自分の手に及ばない不確定要素は存在し、努力をしても上手くいかないことはいくらでもあります。
例えば、旦那さんが起業をしたとして、でも上手くいかなかったとします。そこで奥さんが、仕事が上手くいかなかった理由を旦那さんの努力不足となじるのか、または共に失敗を糧としてまた新たに出直そうよと励ますのか。
どちらを選べばその後の人生は開けていくでしょうか。
子どもがテストで60点をとってきたとします。
そこで、このままでは志望校に行けない!!と不安になり、子どもに対し努力が足りない!ゲーム禁止!もっと勉強時間を増やしなさい!!とコントロールしようとするのか。
それとも、本当は何点取りたかったの?もし自分で納得がいってないなら、今度はどんな工夫ができるかいっしょに考えてみようか!というように、子どものコーチ役となるか。
どちらをとれば、お子さんがまた前を向いて自分で歩んでいくかわかりますよね。
いい点をとった、有名校に入ったとしてピンチはいつでも訪れます。成績も学歴も今の世の中、幸せを保証するものではなくなりました。夢を実現する力、自分で考え行動する力、失敗したとき・ピンチに陥った時にそこから這い上がる力、そのような力こそが世に出て必要となるはずです。
子どものころから、転ばぬ先の杖のように子どもの行動に先回りして干渉をしていると、子どもは次第に自分の人生に対するコントロール感を失い、ピンチや逆境にとても弱くなります。そもそも人間は行動の選択肢を自分で選べないと過大なストレスを感じる生き物だからです。
親の言うとおりに動いてさえいれば上手くいくのは、せいぜい小学校中学年までであって、思春期をむかえるにつれ親の小言は百害あって一利なしくらいに思わないと、子どものたくましく生きていく力を奪いかねないのです。
どうか、お子さんの価値をテストの点数だけではからないでくださいね。テストの点数はお子さんの全てを価値づけるものではありません。(テストでいい点数をとるのは無意味だと言っているのではありません)テストの点数がパッとしないからといって子どもの自尊心や自己肯定感を奪わないでくださいねってことです。
子どもは常に手綱を握っていないとどこかに行ってしまうような危なっかしい存在ではなく、一人で考えて自分の行き先を決めていく立派な存在として認めてあげることが大切だと私は思います。
毎回おんなじことの繰り返しな気もしますが
手綱を手放していくことが子離れが子育ての目標なのです。
親は親の人生を生き、子どもに対して笑顔で『人生って、大人になることって楽しいんだよ!!』ってところを見せてあげましょうよ。
少なくともこのことを伝える人間として、私は自分の子どもに対してそうありたいと思います。
(とはいいつつも、宿題は済んだか?忘れ物はないか?ってついつい言ってしまう自分もいます。。。)

【他人と過去は変えられない 未来と自分は変えられる】
これは私が心理学とカウンセリングを学び始めた頃に深く心に刻んだ、精神科医エリック・バーンの言葉です。
これを子育てに言い換えれば
【子どもと過去は変えられない 未来と自分は変えられる】ってことですね。子どもをコントロールしようとしても本質的にはコントロールできません。
眉間にしわをよせ小言を言い続ける親を生きるか
笑顔で人生を楽しみ、子どもを見守る親を生きるか
あなたはどちらを選びますか??
以前、こんなことを紹介したことがありました。
ある塾で東大に受かったOBに子ども時代を尋ねた調査があり、全員が「イエス」と答えた質問がふたつあったそうです。
ひとつは
【小さい頃に、親に『勉強しなさい』と言われたことがない】
もうひとつは
【母親がいつもニコニコ していた】
東大に行く子どもがすごくて、行けなければダメとかそんなことを伝えたいのではなくて、いちいち心配しなくても子どもを信頼して見守ることを徹底すれば、子どもはもてる力を発揮していくということを理解して頂きたいのです。
戦後の日本には【努力をすれば夢はかなう】という神話がはびこってきました。
たしかに努力をすればするほど暮らしがよくなった時代がありました。
でも、何か上手くいかないことがあると『努力が足りなかった』という結論に至り、自分を責めるのが日本人に多くみられる傾向だと思います。
いやいや本当は、人生には自分の手に及ばない不確定要素は存在し、努力をしても上手くいかないことはいくらでもあります。
例えば、旦那さんが起業をしたとして、でも上手くいかなかったとします。そこで奥さんが、仕事が上手くいかなかった理由を旦那さんの努力不足となじるのか、または共に失敗を糧としてまた新たに出直そうよと励ますのか。
どちらを選べばその後の人生は開けていくでしょうか。
子どもがテストで60点をとってきたとします。
そこで、このままでは志望校に行けない!!と不安になり、子どもに対し努力が足りない!ゲーム禁止!もっと勉強時間を増やしなさい!!とコントロールしようとするのか。
それとも、本当は何点取りたかったの?もし自分で納得がいってないなら、今度はどんな工夫ができるかいっしょに考えてみようか!というように、子どものコーチ役となるか。
どちらをとれば、お子さんがまた前を向いて自分で歩んでいくかわかりますよね。
いい点をとった、有名校に入ったとしてピンチはいつでも訪れます。成績も学歴も今の世の中、幸せを保証するものではなくなりました。夢を実現する力、自分で考え行動する力、失敗したとき・ピンチに陥った時にそこから這い上がる力、そのような力こそが世に出て必要となるはずです。
子どものころから、転ばぬ先の杖のように子どもの行動に先回りして干渉をしていると、子どもは次第に自分の人生に対するコントロール感を失い、ピンチや逆境にとても弱くなります。そもそも人間は行動の選択肢を自分で選べないと過大なストレスを感じる生き物だからです。
親の言うとおりに動いてさえいれば上手くいくのは、せいぜい小学校中学年までであって、思春期をむかえるにつれ親の小言は百害あって一利なしくらいに思わないと、子どものたくましく生きていく力を奪いかねないのです。
どうか、お子さんの価値をテストの点数だけではからないでくださいね。テストの点数はお子さんの全てを価値づけるものではありません。(テストでいい点数をとるのは無意味だと言っているのではありません)テストの点数がパッとしないからといって子どもの自尊心や自己肯定感を奪わないでくださいねってことです。
子どもは常に手綱を握っていないとどこかに行ってしまうような危なっかしい存在ではなく、一人で考えて自分の行き先を決めていく立派な存在として認めてあげることが大切だと私は思います。
毎回おんなじことの繰り返しな気もしますが
手綱を手放していくことが子離れが子育ての目標なのです。
親は親の人生を生き、子どもに対して笑顔で『人生って、大人になることって楽しいんだよ!!』ってところを見せてあげましょうよ。
少なくともこのことを伝える人間として、私は自分の子どもに対してそうありたいと思います。
(とはいいつつも、宿題は済んだか?忘れ物はないか?ってついつい言ってしまう自分もいます。。。)

【他人と過去は変えられない 未来と自分は変えられる】
これは私が心理学とカウンセリングを学び始めた頃に深く心に刻んだ、精神科医エリック・バーンの言葉です。
これを子育てに言い換えれば
【子どもと過去は変えられない 未来と自分は変えられる】ってことですね。子どもをコントロールしようとしても本質的にはコントロールできません。
眉間にしわをよせ小言を言い続ける親を生きるか
笑顔で人生を楽しみ、子どもを見守る親を生きるか
あなたはどちらを選びますか??
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