恩師との出会いが人生を変えた私の原点
学習塾マイポートの塾長 平野です。
先日、息子の中学校の入学式がありました。
プロフィール画像で一緒に写っているのが息子ですが
あっというまに大きくなったものです。
息子の通うことになる中学は私の母校でもあり
数十年ぶりに訪れた母校での入学式は感慨深いものがあります。
今回は私の教育の原点となるある先生との出会いをシェアさせてください。
長文でしかも青臭い話なので興味がない方はスルーしてくださいね。

式の途中でふと中学時代の恩師が思い出されました。
担任ではありませんでしたが、大変お世話になった故人のK先生。
当時K先生は定年間近で、白髪の迫力のあるおじいちゃん先生という雰囲気。
迫力というのは怖いというのではなく、穏やかさの中に人間としての威厳を感じさせるような先生でした。
中学時代の私は学級委員や班長や委員長と
みんなのまとめ役的な立場にいることが多く
塾には通っていませんでしたが余裕で斐太高校にいく成績でした。
でも心に色んな悩みを抱えて苦しかった。。。
悩みを打ち明けられる友も大人もいない状態でした。
家庭環境は結構複雑で安心安全とは程遠い場所でした。
優等生であらねばならないという縛りを自分にかけて
一人で苦しんでいました。
きっと今の時代に生きていたら学校に通えなくなっていたと思います。
当時は不登校という概念がない時代でしたから。。。
中3の冬が迫る頃にはこんな感じで苦しんでいました。
勉強をしたくない。
このまま周りの期待に応えるために勉強を続けるのがしんどい。
結果を出すのがしんどい。
高校に行きたくない。
誰かの上に立つために学歴を求めるのはしんどい。
受験が学歴が支配する側と支配される側に振り分けるもののようで嫌だ!
高校へは行かずに北海道の酪農農家のところで住み込みで働きに行こう!
こんなことを本気で考えていました。
しかし学校ではこんなことを考えているとは誰にも知られず、悟られずに普通の自分を装って生活していました。
中学卒業後は部屋にひきこもりました。
高校の合格発表も見に行かず。
異変を感じた大人たちが心配してくれましたが、誰の言葉にも耳を貸しませんでした。
ありきたりのことしか言わない。嘘くさい言葉ばかり。
いよいよ入学か家出かというとき
なぜか担任でもないK先生から会いたいという連絡が。
今思えば不思議ですが、K先生なら話をしてみたいと思い学校で会う約束をしました。
今でも覚えています。
夕日が照らす図書館でK先生は待っていました。
ニヤリと笑って「おお!来たか!まあ座れ!」
先生からどんなことを言われるのだろうと、少し身構えましたが
意外にも先生は、いかにも大人が言いそうな綺麗事は一切言わず
とにかく私の話をずっと聴いてくれました。
ただひたすら聴いてくれました。
カウンセラーの技術を持った今ならわかりますが
先生は「傾聴」してくれたのだと思います。
自分の価値観で聴くのではなく
ありのままを肯定しながら聴く姿勢のことです。
ずっと苦しかった胸の内を
青二才が吐く、世の中に対する絶望と苛立ちを
優等生であらねばならなかった苦しみを
バーっとぶちまけました。
誰にも言ったことがないようなことを。
先生は そうか、そうかと頷きながら、真剣に聴いてくれたのです。
そしてひとしきり、胸に溜まったものを全部聴いてもらった後
先生は一言こう言われました。
「お前は真実を求めているんやな」
し、真実!!??
人生において真実という言葉に初めて現実的に遭遇した瞬間でした。
「お前は受験勉強や学歴というものが嘘っぱちだと考えている。嘘ではない何かを求めているんやな。お前は嘘ではないもの、真実とは何かを求めているんや」
この時の感覚は今でも鮮明に覚えています。
暗闇の中でずっと行き先を見失っていたところに、針で穴を開けられた感覚。
針で穴を開けられたその小さな穴から光が閃光となって闇を照らしたような。
多分、そこで私の顔が変わったのを見逃さなかったのでしょう。
先生は最後にこう言ってくれました。
「嘘を避けていては何が真実かを知ることはできん。真実を求めるなら嘘が何かも知る必要があるかもしれんぞ。アキトよ!矛盾を怖れるな!!」
私の人生の原点はこの言葉です。
矛盾を怖れるな!
この言葉のおかげで目が覚めて高校に行く気になりました。
しかもすっきりと。(受験勉強頑張ろうとは思えませんでしたけど)
その後自然とこんな決意が出来ました。
悩みを苦しみを分かち合える友を見つけよう。
自分が自分に誇りを持てるくらいの何かを見つけよう。
結果、高校では浪人をするくらい勉強はできなくなりましたが(やってなかったので)
喜びも悲しみも分かち合える大切な友ができました。
部活に打ち込んだおかげで自分のことが好きになれました。
先生にはその後、また人生の岐路の時にお世話になるのですが
お礼とご恩を返せぬままお別れになってしまいとても残念です。
私が生徒さんたちの人生に関わる塾という仕事を選んだ原点は
紛れもなくK先生との出会いです。
人は1回でも心から人に話を聴いてもらうことで、人生の扉が大きく開くということを教えて頂きました。
後で教えてもらったことですが、先生は「生徒は自分を映す鏡だ。わしは教育を通して、生徒から学び、自分を磨かねばならん。」
そう仰って最後まで管理職には就くことなく生徒と向き合われたそうです。
人生最後まで学びじゃ!と退職後は大学に入学され自分の学びを追求されました。
本当は高山に戻り頑張っている姿をお見せしたかったのですが
それはもう叶わないのが本当に残念でなりません。
先生に直接恩返しができなかった分
先生が私にしてくださったことを、今度は私が若い世代に渡していきたい。
そしたら先生も喜んでくださるかなと。。。
息子の入学式の校歌を数十年ぶりに聴いていると
先生が優しくも威厳あるあの笑顔で語りかけてくれたような気がしました。
あらためて自分の教育の原点を思い出しました。
息子も願わくば、人生を変えてくれるような先生に巡り会えるといいなぁ
先生方、息子をどうかお導きください。ご指導ください。
よろしくお願いします。
今日は恥ずかしながら、秘めた思い出をシェアさせて頂きました。
お付き合い頂きありがとうございました。
先日、息子の中学校の入学式がありました。
プロフィール画像で一緒に写っているのが息子ですが
あっというまに大きくなったものです。
息子の通うことになる中学は私の母校でもあり
数十年ぶりに訪れた母校での入学式は感慨深いものがあります。
今回は私の教育の原点となるある先生との出会いをシェアさせてください。
長文でしかも青臭い話なので興味がない方はスルーしてくださいね。

式の途中でふと中学時代の恩師が思い出されました。
担任ではありませんでしたが、大変お世話になった故人のK先生。
当時K先生は定年間近で、白髪の迫力のあるおじいちゃん先生という雰囲気。
迫力というのは怖いというのではなく、穏やかさの中に人間としての威厳を感じさせるような先生でした。
中学時代の私は学級委員や班長や委員長と
みんなのまとめ役的な立場にいることが多く
塾には通っていませんでしたが余裕で斐太高校にいく成績でした。
でも心に色んな悩みを抱えて苦しかった。。。
悩みを打ち明けられる友も大人もいない状態でした。
家庭環境は結構複雑で安心安全とは程遠い場所でした。
優等生であらねばならないという縛りを自分にかけて
一人で苦しんでいました。
きっと今の時代に生きていたら学校に通えなくなっていたと思います。
当時は不登校という概念がない時代でしたから。。。
中3の冬が迫る頃にはこんな感じで苦しんでいました。
勉強をしたくない。
このまま周りの期待に応えるために勉強を続けるのがしんどい。
結果を出すのがしんどい。
高校に行きたくない。
誰かの上に立つために学歴を求めるのはしんどい。
受験が学歴が支配する側と支配される側に振り分けるもののようで嫌だ!
高校へは行かずに北海道の酪農農家のところで住み込みで働きに行こう!
こんなことを本気で考えていました。
しかし学校ではこんなことを考えているとは誰にも知られず、悟られずに普通の自分を装って生活していました。
中学卒業後は部屋にひきこもりました。
高校の合格発表も見に行かず。
異変を感じた大人たちが心配してくれましたが、誰の言葉にも耳を貸しませんでした。
ありきたりのことしか言わない。嘘くさい言葉ばかり。
いよいよ入学か家出かというとき
なぜか担任でもないK先生から会いたいという連絡が。
今思えば不思議ですが、K先生なら話をしてみたいと思い学校で会う約束をしました。
今でも覚えています。
夕日が照らす図書館でK先生は待っていました。
ニヤリと笑って「おお!来たか!まあ座れ!」
先生からどんなことを言われるのだろうと、少し身構えましたが
意外にも先生は、いかにも大人が言いそうな綺麗事は一切言わず
とにかく私の話をずっと聴いてくれました。
ただひたすら聴いてくれました。
カウンセラーの技術を持った今ならわかりますが
先生は「傾聴」してくれたのだと思います。
自分の価値観で聴くのではなく
ありのままを肯定しながら聴く姿勢のことです。
ずっと苦しかった胸の内を
青二才が吐く、世の中に対する絶望と苛立ちを
優等生であらねばならなかった苦しみを
バーっとぶちまけました。
誰にも言ったことがないようなことを。
先生は そうか、そうかと頷きながら、真剣に聴いてくれたのです。
そしてひとしきり、胸に溜まったものを全部聴いてもらった後
先生は一言こう言われました。
「お前は真実を求めているんやな」
し、真実!!??
人生において真実という言葉に初めて現実的に遭遇した瞬間でした。
「お前は受験勉強や学歴というものが嘘っぱちだと考えている。嘘ではない何かを求めているんやな。お前は嘘ではないもの、真実とは何かを求めているんや」
この時の感覚は今でも鮮明に覚えています。
暗闇の中でずっと行き先を見失っていたところに、針で穴を開けられた感覚。
針で穴を開けられたその小さな穴から光が閃光となって闇を照らしたような。
多分、そこで私の顔が変わったのを見逃さなかったのでしょう。
先生は最後にこう言ってくれました。
「嘘を避けていては何が真実かを知ることはできん。真実を求めるなら嘘が何かも知る必要があるかもしれんぞ。アキトよ!矛盾を怖れるな!!」
私の人生の原点はこの言葉です。
矛盾を怖れるな!
この言葉のおかげで目が覚めて高校に行く気になりました。
しかもすっきりと。(受験勉強頑張ろうとは思えませんでしたけど)
その後自然とこんな決意が出来ました。
悩みを苦しみを分かち合える友を見つけよう。
自分が自分に誇りを持てるくらいの何かを見つけよう。
結果、高校では浪人をするくらい勉強はできなくなりましたが(やってなかったので)
喜びも悲しみも分かち合える大切な友ができました。
部活に打ち込んだおかげで自分のことが好きになれました。
先生にはその後、また人生の岐路の時にお世話になるのですが
お礼とご恩を返せぬままお別れになってしまいとても残念です。
私が生徒さんたちの人生に関わる塾という仕事を選んだ原点は
紛れもなくK先生との出会いです。
人は1回でも心から人に話を聴いてもらうことで、人生の扉が大きく開くということを教えて頂きました。
後で教えてもらったことですが、先生は「生徒は自分を映す鏡だ。わしは教育を通して、生徒から学び、自分を磨かねばならん。」
そう仰って最後まで管理職には就くことなく生徒と向き合われたそうです。
人生最後まで学びじゃ!と退職後は大学に入学され自分の学びを追求されました。
本当は高山に戻り頑張っている姿をお見せしたかったのですが
それはもう叶わないのが本当に残念でなりません。
先生に直接恩返しができなかった分
先生が私にしてくださったことを、今度は私が若い世代に渡していきたい。
そしたら先生も喜んでくださるかなと。。。
息子の入学式の校歌を数十年ぶりに聴いていると
先生が優しくも威厳あるあの笑顔で語りかけてくれたような気がしました。
あらためて自分の教育の原点を思い出しました。
息子も願わくば、人生を変えてくれるような先生に巡り会えるといいなぁ
先生方、息子をどうかお導きください。ご指導ください。
よろしくお願いします。
今日は恥ずかしながら、秘めた思い出をシェアさせて頂きました。
お付き合い頂きありがとうございました。
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